【仮同居の事情】夫の実家で経験した義親との完全同居の暮らしは、まるでホームステイのようだった:同居はいつから?親と同居するタイミング(3)

夫の提案から始まった「同居」

それも、夫の実家である「義実家での完全同居」。

たったの1年半という期間でしたが、家族や住まいによって、こんなに暮らし方が違うのかという衝撃を受けました。

この同居は、あくまでも「仮」の同居。

義両親の暮らし方、ものの考え方、夫婦の良好な関係性、家族、などを学ぶ姿勢でともに暮らしていきました。

当時、長男が2歳、次男が0歳。

嫁の立場では、完全にライフスタイルが一変。

育児が大変なときに、環境が変わり、戸惑うことばかり。

もちろん、人間関係の摩擦も生じます。

そんな【仮同居】の暮らしを振り返ってみます。

家族構成(義実家での仮同居中)

義祖母 → 当時82歳。義母の母。認知症の初期状態。徐々に進行し、介護を目の当たりにする。

義父 → 当時66歳。退職しフリー。ゴルフやパチンコが趣味。

義母 → 当時58歳。栄養士として勤務。土日休み。

クロ → 黒柴。0歳。

そこに転がり込んできた

夫、嫁(私)、長男(2歳)、次男(0歳)の、7人での完全同居生活。

義実家の住まい

もともと義祖母宅があった土地と家に、増築する形で建てられました。

義祖母宅と廊下でつながる仕組みになっています。

夫が小学校中学年だったころに新しく出来上がり、

夫が子どもの頃は、夫の祖父(母方)、祖母(母方)、父、母、叔母(義母の妹)、弟の7人で暮らしていたそう。

義父も義母も夫自身も、同居生活に慣れているベテランです。

義両親とも仕事をしており、義父が単身赴任するタイミングで同居することになったよう。

義実家の間取りは、

義祖母宅とは別に、1階に、玄関、リビング、ダイニング、キッチン、和室、洗面、風呂、トイレ。

2階に、子供部屋2つ、寝室1つ、クローゼット、トイレ。

義実家での仮同居中の部屋割り

1階はすべて共有スペースです。

つまり、玄関、リビング、ダイニング、キッチン、洗面、風呂、トイレは、共同で使っていました。

2階を、主に私たち子世帯用の部屋に。

2階の子ども部屋1つを、子世帯の寝室代わりに。4人で川の字で寝ていました

もともと寝室だったところを、子世帯の小さなリビング代わりに。

そして、もう一つの子ども部屋を義父の寝室代わりに。義母は義祖母宅で就寝

ベッドやテレビ、机の配置を変え、とりあえず部屋割りが完成です。

「仮同居」は、まるで「ホームステイ」だった

たったの1年半。

しかし、多くの事を経験し、学んだ1年半でした。

まるで、海外に「ホームステイ」しているかのような感覚。

まわりの店、地域の人、家の中の暮らし方、何もかも「初めて」で「生活習慣や価値観の違い」に気づきます。

まさに、ホームステイの”現地の家庭生活を家族のひとりとして体験する異文化体験学習”です。

しかしながら、ホームステイの感覚といえど、やはり「同居」。家族という近い存在なだけに、ストレスが溜まることも、もちろんあります。

ホームステイのように、万全の受け入れ態勢で、何もかも吸収しようという姿勢で生活していく、なんてことまでしていては、永く続くであろう「同居」では精神的にも体力的にも持ちません。

我が家の場合、「仮」であることによって、一時的なこと、というリミットが生まれたことが良かった。新居が建つまで・・・と新たなる希望も持てました。

きっと、「仮」でなければ、その状況を受け入れるまでに相当な時間を要し、さらに、その状況から逃れる術を探していたかもしれません。

この1年半の「仮同居」で起こった大きな出来事

たった1年半の間でしたが、仮同居中、日常とは違う「非日常」の出来事を経験しました。

「非日常」な体験は、より家族のつながりを感じるきっかけに。

2つの大きな出来事とは、

・第三子の妊娠と出産 → つわりから陣痛、入院、新生児のお世話まで、義実家で体験。

・義祖母の介護 → 認知症が徐々に進行し、歩行や食事、風呂などの介護の大変さを知る。

同居の強みが明らかになった出来事でした。

まとめ

「同居する」とは、人間関係がより「複雑化する」ということ。

心の豊かさには、「複雑さ」が必要です。人が集まっていることで、「複雑さ」が生まれます。

と同時に、ある程度、我慢も必要。

同居を考えている、親世帯や子世帯には【仮同居】を試してみてはどうでしょうか?

仮同居のあと、同居するもしないも関係なしに、「いろいろな家庭がある」ということがわかるだけでもいい経験になります。舅や姑と表面的な付き合いではなく、その生活に直接触れることで、分からなかったことがたくさん見えてきますよ。