我が家は現在、【半同居】をしています。
この【半同居】生活は4年目に入りました。
義両親と一緒に同居するのは、火曜日の昼過ぎから金曜日の昼過ぎまでの3泊4日。
「半同居」については、こちらから
ここで【半同居】のメリットを考えてみました。
メリット①融通が利く
同居する日を減らしたり、増やしたりすることができる【半同居】。
現在のわが家は基本的に火曜日から金曜日までの【半同居】生活です。
最大の利点は、フレキシブルに対応できること。
義父母が用事のある日や体調が悪い日などは、同居する日を変更します。
また、義父母と少し距離を取った方がいいという時には、同居する日を減らす。
反対に、子どもを預けたい時や、夫の帰りが遅い日は同居を増やす方法もとれます。
けがや病気、出産などの緊急時は、すぐに駆けつけてきて長期的に同居することも可能です。
なにより、子世帯の生活スタイルを変えずに、同居するも同居しないも選べることはラ都合がいい。
将来、介護が必要になった場合は完全に同居してサポートしていくこともできます。
『融通が利く』ところは【半同居】の最大のメリット。
半分は同居して、半分は子世帯だけの生活です。
これから同居しようと考えている方や同居の解消を考えている方に、一つの案として考えていただけたら幸いです。
メリット②子どもと義父母との交流が増える
半同居中は、義父母の部屋で遊んでいることが多い子どもたち。
完全同居とは違い、たまに来るからなのか関わりたい気持ちが大きいようです。2歳の四男も自ら義父母の部屋に行って甘えっぱなし。
子どもっておじいちゃんやおばあちゃんとの交流を望んでいるんだなぁと感じます。子どもの年齢が低ければ低いほど、子ども自身で祖父母との関係を簡単につくることができます。
特にわが家は男子ばかりなので、お年頃になったときに同居を始めようとしてもなかなか関係性をスムーズにつくることは難しい。
そういう面では、同居するタイミングは子どもが小さいうちがいいのかも。嫁の気持ちは置いておいて・・・
しかし、義父母の部屋で子どもたちが物を壊してしまったり、けんかをしたり、トラブルはつきもの。YouTube動画やテレビばかり見ている、お菓子をダラダラ食べる、なんてことも。
そんな時、完全同居型の二世帯住宅であればお見通し。すぐに親が介入して注意できます。
敷地内同居や完全分離型の二世帯住宅の場合だと、おじいちゃんやおばあちゃんとどんなことをしているのか把握しづらいところがあります。
現代では世代の違う人と関われる機会は少なく、そういった体験は貴重。コミュニケーション能力の観点からも、いろんな人と直接的に関わることは社会に出ていく上で大切だと感じます。
メリット③物理的に距離をとり、新鮮な気持ちを維持できる
そして【半同居】だからこそ、義父母と同居する日は毎週新鮮な気持ちで迎えることができます。
これが完全な同居だと、舅姑と毎日顔を合わせ、変わらない生活スタイルになり、同居することに嫌気がさしてしまうかもしれません。
いったんストレスが溜まってしまうと、毎日顔を合わせるので余計に億劫になっていく。負のスパイラルにはまると同居はやっかいです。
敷地内同居でもなく近距離でもなく、きちんと物理的に距離をとり一定の期間離れることによって、嫁は一時ストレスから解放され、舅姑も慣れが生じていた同居生活を俯瞰してみることができる。
半分同居して、半分同居しない。その繰り返しで同居スタイルのマンネリ化が起きづらく、メリハリのある生活ができることもメリットの一つです。
メリット④相関関係が増えることで、親と子の関係性が一定の距離に保てる
この④番、結構重要かもしれない、と最近思います。
我が家は男の子ばかりなので、今はまだまだ『ママ大好き』状態で甘えてきます。
でも、小学校高学年にはもう”お母さん”との距離を取りたがるのかなと想像しています。もし母親との距離ができたとしても、家族の誰かと繋がっていればいいと思っています。それは、お父さんでも、おじいちゃんでも、弟でも。
誰かと繋がっていれば、安心です。
【半同居】中は、子どもは親よりも”おじいちゃん”や”おばあちゃん”と接したがります。親と子の関係の中に、別の関係が増える。いつも一緒にいる友達もいるけど、今日は違うお友達と遊んでみよう、という感覚でしょうか。
そのせいか、【半同居】していないときは、親と子の関係も普段よりグッと近くなる。
【半同居】によって、親と子の関係だけではなく、おじいちゃんと子、おばあちゃんと子、子ども同士、などたくさんの関係性が増える。親と子の関係が近すぎず、遠すぎない関係を保てている要因になっています。
また、親から叱られたとき、おじいちゃんやおばあちゃんは「逃げ場」となり、緩衝材としての役割も担っていてくれます。
毎日ではなくても、必要な時に、場面に応じて、繋がる関係でありたいです。
メリット⑤第三者の目が入る
これは、メリットであり、デメリットにも考えられることですが、親子関係・夫婦関係の中でトラブルが起きた時に、義親という立場の第三者がいることで、最悪の事態を避けることができる場合があるということ。
例えば、夫婦喧嘩で揉めているとき、時にはヒートアップして興奮状態にあったとき、「義親も家にいて怒号を聞いているかもしれない」と思うと、気持ちにブレーキをかけるきっかけになります。
親の前で夫婦喧嘩しているところを見られるのは、なんとなく気おくれしますよね。
たとえ【半同居】ではない日に大きな喧嘩をしたとしても、数日経てば義親も交えた暮らしになると思うと、それまでに問題を解決しておこうという気持ちに切り替えることもできます。
また、子育てにおいても同様。子どもに注意するときに、義親の存在があることで冷静に対処するようになったり、行き過ぎた注意の仕方を踏みとどまらせる抑止力になったりします。
舅姑の存在は、まるで「目の上のたん瘤」という”ことわざ”のよう。自分より立場や能力が上である人物に対して、うっとうしい、邪魔だなぁ、目障りだ、と感じる様子をあらわしています。
しかしながら、うっとうしいと思うのは嫁の心理であって、「目の上のたん瘤」の存在があることで総じてプラスに働くこともあります。
先ほどの例では、夫婦喧嘩や子どものしつけにおいて、物事を冷静に捉えられ、感情をコントロールしやすくなります。
他にも、自分だけでは「まぁいいいか」と思いがちな家事でも、舅姑の目があることで、家を綺麗に保とう、とか、食事にもう一品つけよう、とか、寝坊しないように気をつけよう、とか、行動を後押しされたりするケースもあります。(いい意味で)
大げさに言えば、「第三者の目」があることで、「離婚」や「虐待」など最悪の事態になることを避ける助けになっていると考えられます。昨今、同居世帯が減ったことによって身近にいたはずの「第三者の目」が減り、世の中でこのような事態が増えているのではと危惧しています。(同居が原因で離婚する夫婦もいるかもしれませんが・・・)
たまに同居する第三者。その存在は意外と大きいのです。
どうしても人間は、ラクな方へ行きたがるので、自分のパフォーマンスの向上のために「目の上のたん瘤」があってもいいのかな、とも思います。
しかしながら、舅姑が夫婦間や親子間のトラブルの中に入ってしまうと、余計に話がこじれる場合もありますので、首を突っ込むことは避けたいところ。
そこにいる、という「第三者の目」としての役割。
まぁ、舅姑による日頃からの近すぎる「第三者の目」は、嫁にとってストレスになることが多いのですが、最悪の事態を避けるという面で、メリット、としておきます。
メリット⑥災害時などの緊急事態でも、別の住処がある
いつ起こるか分からない災害。
今までは、地震、台風、津波、洪水などの自然災害がメインでしたが、今やコロナなどの感染症、武力攻撃も非常事態となりうる時代です。
自分の家に住むことができず避難場所に避難せざるをえない事態になったとき、別の「住処(すみか)」があることはありがたいことです。
我が家では、昨年、子世帯全員がコロナに感染しました。義両親は感染する前でしたので、子世帯の療養期間中は、同居から離れ、義実家で過ごしてもらいました。
おかげで、義両親はコロナが感染することなく、無事に過ごすことができました。
この他にも、ノロウイルスに感染したときも、同居は控え、同様に義実家で生活したこともあります。
これが、もっと大きな災害、例えば「東日本大震災」のような衝撃的な出来事が起きて、被災してしまったとき。
精神的にも、体力的にも、辛い状況の中、「家」がないことは生活を揺るがします。避難所が設営されたとしても、最低限の備蓄で過ごさなくてはなりません。
そんな非常事態になったとき、【半同居】であれば、半分だけ別居なので、距離がある程度離れていれば、そこへ避難することができます。(我が家は、県をまたぎ車で1時間弱のところに義実家があります。)
距離が離れている別の住処(すみか)があり、その住処(すみか)が被災せずライフラインが正常であれば、そちらに避難することもできます。全員は無理だとしても、義両親だけでも「家」に避難することが可能です。
敷地内同居であったり、近居であると、災害時には同じような被害が出る可能性があります。
そんな事が起きないように願う反面、いつ非常事態が起きてもいいように、日常の備えや備蓄を見直していこうと身が引き締まる思いです。
まとめ
これら6つが現在の【半同居】のメリットなのかなと考えています。
【半同居】は、「半分は別居」であることに意味がある。
もちろん、メリットもある中で、「同居のデメリット」ももれなく付いてきますが、【半同居】のメリットに絞って考えてみました。
今後、また別のメリットが増えるかもしれないし、デメリットの方が増えてくるのかもしれませんが、できるだけメリットに目を向けられるよう、日々を過ごしたいものです。